アスペとゲームと君と僕

アスペの息子とゲーム好きな僕との備忘録。

告解のようなもの1

僕は普通のサラリーマンです。

特に取り柄と言ったら笑うと良い顔に見えるらしいぐらい。苦労しているようにも見えず、年齢相応な見かけではない(いまだ年齢が分からない男を自称他称含めて多い)傍目ではおしゃべりな口で損をする、くそ真面目過ぎて冗談が通じない、強情なオヤジだそうでw

普通に結婚し、普通に家庭を持って、独身の頃はいろいろな趣味を楽しみましたがそれなりに落ち着いて、まぁ子供も2~3人いて楽しい毎日を夢見ていて、今でいうリア充に近かったと思います。

長女が生まれた翌年、自分が長男ですから同居しなきゃダメでしょ、と二世帯住宅を建て、それから長男も生まれ仕事も色々迷いながらペースが分かってきて「ま、この仕事で一生過ごすかのぅ」なんて思っていました。

 

ところが、翌年から2000年だという年末の12月に思いもよらない事が起きました。

木造2階建ての自宅と、長男長女を失うという事件が起きたのです。

 

その6年後には、20年勤めていた会社が倒産。

 

倒産の数年前に、康ちゃんが生まれました。僕たち夫婦には願ってもいない子供です。家内はできたと分かるまでは、子供は要らないと言い張っていましたけど・・。そういう意味で僕は、我儘をいってしまったかなと今でも後悔しています。

 

生まれる前の半月は、結構寂しかったことを覚えています。出産の為に里帰りしていたからですが、その時に「思いっきり手がかかる子でも良いや。早く会いたいな」と日記に書いたことを、今も忘れません。

人生っていうのは、不思議なものです。

 

また、当時僕は色々心が揺れていて、色んな人にあったり話を聴いたりしていました。子供を失った事と、新たに子供に恵まれること、それによって夫婦間がちょっとぎくしゃくしてきている事等々。倒産した後も、結構すさんでいました。

 

それでも、兎に角、無事に育ってほしい。そして、お兄ちゃんやお姉ちゃんがいけなかった、小学校から先の世界を知って色んなものを吸収して欲しいなとか、僕や家内もいろんな話をして、沢山の思い出を作ろう・・・と考えていました。

 

保育園とか小学校前の出来事には、それほど目くじらを立てることもありませんでした。手がかかる子という印象はあまりなく、むしろダダもこねないし、物を欲しがらないし兎に角おとなしいイメージでした。けど僕がその頃やっていたカードゲームやミニカーを並べたがり、整列させることが好きでした。きちっと並んでいないと怒るし動かすと怒るという事がありましたね。

 

2に続きます。